D.B. 001 (Amico )購入価格 10.86Euros
購入店 METROPOLI ROCK(ROME)
1968年のサンレモでチェレンターノともめてCAMに移籍し自身のレーベルAMICOレーベルの記念すべき1枚目のシングル。ちなみにアミコとは彼が1963年にカンタジーロ、ジローネAに昇格して歌った曲。バカラックの曲であるが レーベル名にする程思い入れのある曲なのだろう。
<ドン・バッキー>
サンタクローチェ出身で本名 アルド・カポーニ
1962年デビュー。(カンタジーロ ジローネB)
ハンサムなルックスとチェレンターノ・ジュニアとして たちまち人気歌手となる。
1968年「カンツォーネ」のサンレモ出場権をめぐり親分のチェレンターノと対立。
しばらくは全く口をきかない程 険悪な状態となり訴訟問題にまで発展したらしい。
あまり語られない事だと思うが その後 和解している。
このシングルはドン・バッキーの「ソングライター」として、
また「歌手」の経歴としても彼が非常に輝いていた頃リリースされた物である。
その輝きは非常に短い期間であったが、60年代から70年代に移り変わる時代の後押しも手伝って カンツォーネ史上に残る名曲を次々と生み出していた。
イタリアのクラシカルな要素とエキゾチックな旋律を併せ持つ彼とマリアーノのコンビ曲は今聞いても心に響く部分を持っていると思う。
残念なのは全てに於いて提供先の歌手のバージョンの方が秀逸である事。
彼の声質が、彼のオリジナル曲にマッチしないのである。
またこの時期の彼の曲はどことなく似通っておりそこを問題にされて
翌年のサンレモで「消えた微笑み」は ミルバとドンバッキーがパートナーという非常に話題性のあった組み合わせになったにもかかわらず3位に終わっている。
A面:Canzone
1968年サンレモ音楽祭にてミルバとチェレンターノによって歌われた曲。
優勝も確実視されていたが1位Canzone Per Te 2位Casa Biancaの後塵を拝し
3位の結果に終わる。更にチェレンターノが表彰式をエスケープしミルバが一人で歌うと言うハプニングまで起こしている。
その楽曲を作ったのはドンバッキーとマリアーノのコンビで
ドン・バッキーがミルバと出場する筈だったが
CGD_ClaNの出場枠で親分のチェレンターノに出場権を横取りされた格好になった。
このレコードにおさめられているのはもちろんドン・バッキーのバージョン

